New Page ! 「真、行、草」 「懐石と茶事について」「床の間の話」 「花びら餅」 「茶の湯の炭の話」
最近は和室を作る人が少なくなり、ましてや床の間付の部屋というのは珍しくなりました。 地方の古いお家には必ず床の間があり、そこには掛け軸とおめでたい鶴などの置物があるのが普通でした。 床の間というのはどのような変遷を経て今に至ったのか、主に茶室について調べてみました。 足利時代には仏家の真似をして俗家でも部屋の一隅に床を作りそこに仏絵を掛け三具足(香炉、燭台、花立て)を飾るなどしていたようです。(今でいえば仏壇ですね) そして東山時代になると書院造りの邸宅では畳を部屋中に敷き詰め(それまでは板敷だった)床面を一段高くした上段の間が設けられるようになりました。ここは位の高い貴人を迎える場所でもあったのです。 この上段の間については面白い逸話があるそうです。 神谷宗湛という茶人が関白秀吉を茶室に招いた時、上段の間に錦の茵(しとね)を敷き食事を振る舞い、その後でお茶を点てて差し出したところ秀吉はそこから降りてお茶を飲んだそうです。そのくらい秀吉がお茶に敬意を抱いていたということでしょうか? その後侘び茶といわれる小さな草庵でのお茶が流行することになるのですが、たった二畳の茶室にも必ず床の間はありました。(下の図を 見ていただくとわかりますが実際には畳が京畳で江戸間の畳より寸法が大きく点前座の分は別にありますので、思っている以上に広さを感じます)
さて、床の間の話に戻ります。 お茶事などにおよばれした時は席に入ってまずすることは床の間の拝見です。 ここで、扇子を膝前において床の間に一礼をしますが、これはよんでくれたご亭主の心入れに感謝をすると同時に茶の湯の世界の歴史にも敬意を表する意味があるのです。 そして、掛けてあるお軸をじっくりと拝見します。掛け軸はご宸翰とよばれる天皇家の人の書いたもの、墨蹟という高僧の書いたもの、和歌などを書いた色紙ぎれなどがあります。 その日の催しにあったものを選んで掛けてるのがご亭主の心意気というところなので心して見入ります(実は全然読めない時の方が多いかも) 前にも書きましたが正式の茶事では最初は床の間には掛け軸しかかけてありません。 花は後入りという食事の後の席で飾られますが、普段は省略して軸と花の両方を置きます。 床の間の花については「季節の茶花」というページにのせてありますのでそちらをご覧ください。 |