思い出の小箱


 







 
ここ10年ほど続けてきた国内、国外の旅行を順不同ですが少しずつ思い出しながら振り返ってみようと思います。
デジカメを使い出したのは10年くらい前からですから、それ以前の写真はアルバムに貼ってある写真をスキャナーでコピーしたものをのせます。デジカメに比べると画素数がぐんと落ちますので映像が荒くなりますが、これはやむおえないところです。
 


ネパールにヒマラヤ山脈を見に行きました 1996年11月 )

その一  カトマンズ⇒シャンボチェ⇒エベレストビューホテル、ヒマラヤ遊覧飛行

山登りをする人間にとってあこがれの山であるヒマラヤを見に行くというツアーを見つけ出しました。
アルパインツアーという登山専門のツアー会社の「ホテルエベレストビューとアンナプルナ展望ハイキング9日間」です。

一日目はカトマンズに滞在、市内見物で 初めて見るヒンズー寺院、ガートとよばれる川の岸の火葬場、 王宮など興味深々で眺めました。
ネパールは当時世界最貧国の一つで、町の中のゴミの山に人間、犬、牛などが食べるものを探して群がっている風景にはちょっと衝撃を受けました。物乞いの数も多く、空港には乗客の荷物を運んで日銭を稼ごうという少年の姿を多く見かけました。

2日目にはこの旅行のメインである標高3880メートルにある「ホテルエベレストビュー」に宿泊し、エベレストや周りのローツェ、アマダブラム、タムセルクを見ながらハイキングです。
エベレストビューまではヘリコプターで1時間です。
このヘリコプターが旧ソ連製のおんぼろ軍用ヘリで、なんと床には穴が開き下が見える代物。
耳栓には綿を丸めたものが渡されます。
これも今では旅の思い出話のひとつになりましたが。

シャンボチェという山の中の飛行場(ここはエベレストビューホテルのために造られたものだそうです)につくと荷物を運ぶポーターが待っていて頭にかけたひもでつるしたかごに入れて運んでくれます。

エベレストビューホテルというのは日本人の宮原 巍さんという方が作ったもので世界で一番高いところにあるホテルです。おそらく宿泊料も五つ星ホテルに泊まるくらい取られるだろうと思います。

水は人の手で下のクンブー村から運び、電気は自家発電。いわゆるシェルパという山の案内人の仕事以外のない近隣の村の人々のためにお金になる仕事を作ったのです。

宮原さんはネパールに国籍を移して今もネパールのために尽くしているという話を先日テレビで見ました。

さて、エベレストですが素晴らしい天気に恵まれて思う存分に見ることができました。

しかし、高度順化をせずに一気に2000メートル以上(カトマンズは1500メートル)上ってきてしまったので、夕方くらいから次第に気分が悪くなり始め、夕食は喉を通らず、寝る前に酸素吸入を受けたものの見事に高山病の症状が出て、ほとんど眠ることができませんでした。

眠れないままに夜中に凍るような空気のベランダに出て星空を見上げると、見たこともないほどの数の星にびっくりしたものです。月明りにほんのりと見えるエベレストは幻想的でした。

翌日午前にカトマンズから飛んできたヘリに乗って這う這うの体で山を下りました。
あら、不思議!カトマンズについたらあの気分の悪さがすっかりとれて、日本食レストランで天丼をぺろりと平らげてしまい、高山病というものの実態を知りました。


さてその翌日は飛行機に乗ってヒマラヤの山々を遊覧飛行しました。
この飛行機に乗っていたサリーを着た客室乗務員の笑顔がとても素敵で今も心に残っています。
 トレッキングロードから見た
アマダブラム
 ホテルエベレストビュー  エベレストビューホテルから 高山病で 食べられなかった夕食
 ヒマラヤ遊覧飛行 ネパール 美人  この飛行機に乗りました  ネパールの寺院
     

 


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